
はい、くそみたいにプライドの高いみなみです。
よくプライドが高いと言われがちです。
しかもそれが悪のように。
ときにはバカにされます。
でも、プライドが高いことってそんなに悪いことなのか、ずっと疑問でした。
そこで、論理武装して反論してみせます。(こういうとこがry)
まず、「プライドが高い人」(= 僕)にはどんな特徴があるのか考えます。
- バカにされることが嫌い
- 人に頼ることが苦手
- 自分の能力を過大評価する
そんなとこですかね。
では、反論を交えつつ解説していきます。
上記のことを踏まえて、そういう人がどういう立場を求めているかですが、
- バカにされない
- 人に頼らない
- 実際に能力が高い
これが「プライドが高い人」にとっての理想の自分です。
どんな人でも自分にとっての理想の自分を持っていると思いますが、
その理想に対してどうやって実現するか考えていますか?
これは僕自身に言えることなので、
「プライドが高い人」全員がそうではないですが、
どう実現するかを書き出してみます。
- バカにされない → バカにされない程度の頭の良さを見せる
- 人に頼らない → 頼らなくても生きていける能力を身につける
- 実際に能力が高い → 能力が高くあり続けるよう勉強する
つまり、理想の自分(=プライドの高い自分)を見せつけることで、
ある意味自分自身を偽り、装っているのです。
そして、その偽りが本物であるように振る舞い、鍛錬しているのです。
そうですね、まるでダリですね。
「天才」であるように偽り、「天才」のように振る舞った、本物の「天才」です。
もちろん、そこで自分を鍛錬できなければ、
「プライドが高い人なのに無能」という烙印が押されかねません。
これは当然ただの無能よりもマイナス評価になるので、ある意味諸刃の剣です。
しかし、たとえ誰に「プライドが高い」こと自体をバカにされたとしても、
実際に能力が高く、人に頼ることなく、バカにされるような言動を控えていれば、
「無能」の烙印は押されないのです。
だから、「プライドが高い」だけでバカにされたことがある人は、
もっと自分の能力を磨いてください。
逆に、能力がある人はもっとプライドを高く持ってください。
腹の中で自分のことを低く見積もっていても、
卑下ばかりしていたら誰も評価してくれませんよ。
まぁ、客観性を持って自分を見つめることができれば、自分の価値はわかると思うので、
少しだけその上の価値に捉えられるように振る舞おうってことです。
こんなことを書き出すくらい暇だっただけです。では。
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